戸澤の週報
2026年08月22日
無くしたものを探しに行こう
先日の日経新聞に1面に「日本の負け意識」という、なかなかインパクトがある言葉がありました。
内容はAIを日本企業は活用するものと考え、AIによって産業の主導権を握ろうという意思が弱い。
対して米国企業はAI時代のルールや標準を作り、次の産業インフラを支配することを考えているとあります。
日本の個々の力は決して弱いとは思いませんが、組織で戦った場合の大局観や規模感において差が見られます。
もちろん投資規模や、自国の人口など様々な条件の中で不利な点はあるかと思います。
しかし、このこと自体は今に始まったわけではなく、昔から同じだったはずです。
むしろ厳しい条件だったからこそ、そこに創意工夫を行い、結果として世界に通じる何かを創り出していました。
もう少し深く考えてみると、かつての日本企業には、まず組織全体に勝敗への強いこだわりがあった。
一人一人の従業員が自分の仕事に誇りを持ち、自分の持ち得る最大限の力を発揮していた。
別の言葉で言えば、仕事に対する美徳があった気がします。
技術的な面や、投資規模などはできるだけ大きく引き離されないように最大限努力をする。
技術を支えるリーダーは最低限のラインを死守し、経営はその時出来得る最大限の力を結集し、投資を行っていた。
一社だけでは力が足りなければ、他の企業や産官連携によって力を結集した。
渋沢栄一の足跡を見ても、そのような大局観を持った仕事がいくつも見られます。
今の日本を考えると、自信が無くなったという結果論を見るのではなく、原因をきちんと特定することが大切です。
全体の傾向として、イノベーションより、改善・効率アップ。
自分で作るではなく、人の作ったものを使う。
長期の目線より、短中期の目線。
人の力を活かすより、自動化。
もちろん一定の自動化は必要です。
ただし、きちんと定義が必要です。
「人を減らすために自動化するのではない。人にしかできない挑戦に、人の時間を戻すために自動化する。」
自動化によって生まれた時間を、次の挑戦に振り向ける。
そこまで行って初めて、自動化に意味が生まれます。
そして大切なのは、その先です。
自動化や効率化は、それ自体が目的ではありません。
新しいものを生み出し、次の挑戦に向かうための基盤です。
イノベーションという言葉も、少し大きすぎるのかもしれません。
イノベーションというと、何か特別な人が行う大きな発明のように聞こえます。
もっと広い意味で、目の前にある様々な課題に対する「挑戦」と考えた方が良いのではないでしょうか。
そのように考えてみると、負け意識と表現されたものは、現在の日本の挑戦への忌避と考えられます。
働くことを「時間」だけで捉えること。
働きすぎを是正することは必要です。
しかし、「働くことから人を守る」という議論が強くなる一方で、「働くことで何を成し遂げるのか」「仕事を通じてどんな喜びを得るのか」という議論は、いつの間にか小さくなってしまったように感じます。
行き過ぎた事なかれ主義。
失敗しないこと、問題を起こさないことを優先するあまり、自分の意思で一歩踏み出すことを避ける。
誰かが決めたことを正しく行うことはできても、自分で考え、決め、責任を持って挑戦する機会が少なくなっているように感じます。
日本が無くしたものを、昔に戻ることで取り戻す必要はありません。
私たちなりの形で、もう一度つくればいい。
働くことへの喜び。人と人との本気の関わり。そして、大きなことに挑戦する楽しさ。
大きな挑戦が日本中の至るところで行われている。そんな姿を想像すると楽しくなります。
当社も、その一社になりたいと思います。
無くしたものを、もう一度探しに行きましょう。









