戸澤の週報
2025年11月15日
相対と絶対
街の街路樹も紅葉が始まっています。
秋も最後を迎え、冬がもうそこまで来ています。
寒い冬が来ることは間違いありませんが、冬が好きかどうかは人それぞれですね。
先週は普段何気なく目に触れている「相対性」という言葉が、奥深いものであることを知りました。
例えば「善悪の相対性」と言われたら、皆さんはどのように解釈されますか?
善悪とは、良し悪しです。
例えば立場が上の人が下の人を人前でひどく叱責するようなことは、今の世では良いこととは言えません。
パワハラということになるでしょう。
しかし、数百年前の江戸時代において身分制度は当たり前のように浸透し、同じことをしても特に咎められることは無かったはずです。
また、しつけという名の体罰も、私が子供の頃はよく目にしました。
今では子供の尊厳を傷つける行為として悪の形で認識されています。
善悪の相対的とは、善悪は人間が判断しているに過ぎないもので、時代や文化、立場によって変わります。
特に今の世の中でも、人の食べ物を見ているとこの点を強く感じます。
人が生きるためには多くの生命を頂いているのにも関わらず、ある動物は良くてある動物は食べてはいけないとなっています。
現代人もこの考えを自然に受け入れていますので、やはり相対性の中に生きているのだと実感します。
このように考えると、人間が下す善悪の判断には限界があることが分かります。
主観的であるがゆえに、偏りが生まれます。欲望や我意も含まれてきます。
まずはこれら人間の特性をよく理解することが重要です。
目の前のことを当たり前と思わず、批判的に見る考え方が必要ということでしょう。
森信三先生はこれを「自己省察:じこせいさつ」と呼び、人の成長に必ず必要なものとしました。
自分を特別視せず、他者を見るように自分の外からの視点を持ち、本質を捉える努力をすることが大事だと言えそうです。
人は社会人になり多くの経験を積み成長していく一方で、自分の及ぶ範囲の限界を知っていくことにもなります。
日々の生活の中で相対性を意識しながら、常に調和のとれた場所を探す努力をしていきたいですね。









