戸澤の週報
2026年03月20日
神の謙地
染井吉野は開花間近とのことですが、東京では久しぶりの雨模様で、冷え込んでいます。
季節がバランスを取りながら移り変わっています。
人の意思を超えた働きが感じられます。
本日は「神の謙地」について挑戦してみたいと思います。
この言葉は一般用語ではなく、森信三先生の言葉で「人間が到達し得る最高段階の到達点」とあります。
謙地の謙は謙遜の謙です。
一般的な謙遜は、「控えめ」であり「へりくだる」ことを指します。
神の謙地での謙遜は
・私を去る
・天に任せる
となります。
実際の我々の世界で考えると、自分のやるべき仕事を全力で行うのですが、功績は完全に手放す。
つまり自分は前に出さないと言うことです。
そして、全ての天(神)の働きとして受け取り、自分自身はその働きの単なる「通り道」と捉える。
ここで言う神とは、人知を超えた大きな働きと捉えて良いでしょう。
この世を含む全体を動かす大きな働きでありその成果を誇示せず、ただ静かにそこに存在しています。
最大の存在でありながら、最大の謙虚さを備えているということが、神の謙地の考え方です。
人間は、少なくともこの地球上において、高い知性を持つ存在です。
よって、人知を超えた大きな働きを理解し、ただ自分が通り道になって行動することで、自然調和を行うと言う考え方です。
例えば、案件がうまくいった際にも、それを自分の成果として語るのではなく、実際にやり切ったメンバーの名前を前に出す。逆に、うまくいかなかった場合には、その責任は自分が引き取る。
このような姿勢もまた、「通り道になる」ということの一つの現れだと感じます。
よく言われる、アンテナを立てているという表現は、最も分かりやすい例です。
自分が立てるアンテナとは、自分自身の問いであり、疑問です。
どうしたら問題を解決できるかという心の底からの希求です。
天はいつでも人間が必要なことは発しているので、受け取るかどうかはアンテナ次第と理解してよさそうです。
実に壮大な考え方であり、人生をかけて到達したい境地です。
まずは、自分の役割を再認識し、成果をチームの物とすることから徹底したいと思います。









