戸澤の週報
2025年09月20日
善の研究への挑戦
急に涼しくなってきました。
あれだけ寝苦しかった夜が一変し、温かい格好して寝ないと風邪を引いてしまうほどです。
まだ、暑い日が戻ってくるようですので、調整に苦労しそうです。
この度、長年気にはなっていながら尻込みしていた、西田幾太郎著の善の研究と向き合いました。
西田さんは明治時代の方で、世界的にも評価の高い哲学者で、本書は日本人が書いた最初の本格的な哲学書と言われています。
岩波文庫から出ていますが、昔の言葉に苦戦します。
最初の50ページは苦行でしたが、少しずつ内容が分かってくると、理解がしやすくなり、頭に入ってくるようになるから不思議です。
主題は真の実在とは何か?善とは何か?といった内容です。
第一章で出てくるのが、西田さんの哲学の本質である「純粋体験」です。
我々は物を見たり、何かの経験をするときに、自分の頭や意識で何かを考え評価を下したりしています。
そういったある意味主観のようなものが次第に溶けていって、向き合っているものと一体になっていくことこそ、純粋経験と呼んでいます。
現代風な表現をすれば、「ゾーン」に入っているという状況かと思います。
そして実在とは、この純粋体験そのものであると言います。
実在とは、物(外界の物、自然)に限りません。
物質的実在:外界の物、自然
心的実在(意識、感覚、観念)や普遍的実在(数や法則、理念)、超越的実在(神や絶対者)まで及びます。
人間が「花を見る」「音を聞く」といった瞬間には、主観と客観の区別がまだ立っていません。
つまりは自分の意見がまだない状態です。
その状態で行う「ありのままの直接経験」こそが、もっとも根源的で確かな存在であり、真の実在だと説明があります。
この内容こそ本書の核心なのですが、真の理解にはもう少し重ねて学習が必要だと感じています。
そして、本書では実在を、宇宙のスケールで捉えていきます。
西田さんは、神は実在の統一者であり、宇宙は神の表現であると本書で説いています。
そして、自然はもちろん、そこに属している我々も広い宇宙の一員であることから、神の表現であるとあります。
広い世界は統一に向けて発展に向けて動いていくが、そこには分化作用があり、つまずきである分裂や反省があると説きます。
これらの内容を見ていると、意外と神は優しく見ていてくれているように感じました。
大いなる安寧をえるためには、大いに失敗し、大いに悩めということでしょう。
そのように進めていくと、自我と世界の境界が溶解し、一体になっていく経験を経て、真の自己が見出されていくと理解しました。
これは、世の一般で言うことの悟りですね。
本書にはまだまだ、様々なことが書かれています。
まだ、完全には理解できていませんが、世の中に対する向き合い方という観点で、新しい見方を教えてくれました。
久しぶりに、何度も読みたいと思う本に出合うことができました。
主観と客観の間の何かとは、こだわりや見栄、不安などです。
人からどう見られているかとか、断れたらどうしようとか、挑戦して失敗したら恥ずかしいなどです。
今回の読書で自分が一番学んだのは、まずはこういった雑念を捨て去り、目の前の物に本当の意味で向き合わなければいけません。
その結果広い宇宙の摂理と共振することができるということが分かりました。
まだまだ学ぶことが一杯あります。