戸澤の週報
2026年10月24日
「製品開発→マーケットイン」爆速化カンパニーへ
最近良く日本のエレクトロニクス産業の競争力について考えます。
なぜ、昔は強かったのか?そして、今はなぜ弱くなってしまったのか?
考えてみると戦前・戦後は常に日本が追いかける立場でした。
常に何かが不足している環境の中で、生き延びることが大きな目的となっていました。
恐らく今に比べたら恐ろしく非効率だったとは思いますが、各自が労働に費やした時間は長く、情熱も大きいものだったと思います。
日本の成長という一本にまとまったベクトルが、高度成長を引き寄せ、豊かな国となります。
その結果、多くの技術が生まれ、日本の競争優位を生み出しました。
しかし、そこからの逆境は、バブル崩壊に始まり、徐々に競争力を失っていく企業が増えてしまいました。
さて、歴史が一巡して、日本はまた追いかける立場になりました。
戦後の焼け野原から見事立て直した先人の経営者のリーダーシップや、当時の市井の名もなき人たちの献身に学ぶ時が来たと感じています。
戦後日本のエレクトロニクス企業は焼け跡の中で生存をかけて戦っていました。
当時会社を興した創業者たちは、危機感の中で驚くほどのスピード感を持って仕事を行っていたと考えられます。
1946年、井深大と盛田昭夫が東京通信工業(現在のソニー)を設立。1950年には日本初のテープレコーダー、1955年には日本初のトランジスタラジオを発売しました。
創業からわずか9年の間に、次々と先端技術を商品化しています。
1946年、本田宗一郎は自転車用補助エンジンを開発。試作品を妻に試してもらい、油で衣服が汚れる問題を発見すると改良し、同年10月に販売を開始しました。
これは現在でいう、実際の使用者の反応を素早く製品に反映する開発手法そのものです。
現代のアジャイル開発にも通じる、試作と評価、改善を高速で繰り返す手法を、戦後の創業者たちは生き残りをかけて実践していたのである。
アジャイル開発と並んでもう一つのスピードは意思決定です。
当時の新興会社の開発現場では、即断即決と呼ばれる意思決定の仕方が盛んに行われていたのではと思います。
設計者ができない理由を話し始めると、親分が一喝をし、「やる前から言い訳をするな!」と言われている姿がイメージできます。
戦後とは環境が大きく変わってしまいました。
情報の取り扱いが難しくなり、リスクへの配慮がより強く求められる世の中になりました。
しかし、本質は今も戦後も変わっていません。
現状に危機感を持ち、スピード感をもち、成功するまであきらめない情熱をもって仕事に取り組むことです。
人格や健康を尊重することは、企業経営の大前提です。一方で、それは社員の成長を促すことや、高い目標に挑戦する機会を提供することと矛盾しません。
むしろ、安心して全力を尽くせる環境をつくることこそ、経営者の責任だと考えます。
一生懸命にやっているのは日本だけではありません。
各国生き残りをかけて全力でやっています。
周りは既に全力でやっているのに、自分たちが普通にやっているのでは、良くて現状維持、最悪遅れていってしまいます。
このことは、本当に気を付けていないとつい忘れてしまいます。
自分は十分に頑張っているという満足感が、時として成果に対する責任を曖昧にしてしまいます。
しかし、競争の世界では、努力の大きさではなく、生み出した成果の大きさが問われます。
もちろん、日本企業の競争力低下には産業構造の変化や国際競争の激化など、さまざまな要因があります。
しかし、その中でも私が特に注目しているのは、企業の意思決定と行動のスピードです。
これからの日本企業には、スピード感とリスクに対する適切な判断力を取り戻し、世界との競争に勝つための新たな行動が求められます。
当社は、部品を供給するだけの会社ではありません。
製品開発に必要な技術情報、部品調達、在庫、物流、そしてデジタルの力を組み合わせ、顧客の製品開発からマーケットインまでの時間を徹底的に短縮する会社へと進化していきます。
戦後の創業者たちの情熱とスピード感を、現代のテクノロジーによって再現し、日本のエレクトロニクス産業の競争力を取り戻す。
「製品開発→マーケットイン」爆速化カンパニーへ。
私たちは、顧客の製品開発からマーケットインまでの時間を短縮することで、日本のエレクトロニクス産業の競争力向上に、具体的な成果で貢献していきます。







