戸澤の週報
2025年05月10日
神様から学ぶ、令和のリーダーシップ
この週末は雨模様となっています。
折角のこの時期ですので、五月晴れを見たいところですね。
先週の若いメンバーとの会話の中で、リーダーシップの話が出ました。
これだけ多様化した価値観の中で新しいリーダーはどのように考えていいか、みんな悩んでいます。
これだけをやっていたら間違いがないよという教科書があればよいのですが、そんな1冊はありません。
巷にはリーダーシップだけでゆうに100冊を超える本が出ていて、余計に迷いが生じてしまいます。
そんな時に、ちょうど今読んでいる本に心に残る文章があったので、共有しました。
「リーダーシップはけっして2元的なものではない。静的であることもない。専門知識でも問題解決能力でもない。
むしろそれは、道徳的な想像力であり、組織内で人々が最大限の能力を発揮できるようにして、繁栄と成長を可能にし、最終的に自身たちや、利害関係者、社会にとって意義のある方向に向かう手助けをしたいという思いである。」
(参考図書:組織と人数の絶対法則 東洋経済 トレイシー・カミレッリ他)
心から納得ができる、リーダーシップの定義に出会ったと思えました。
ここで言う道徳的な想像力とは、人間が本来こうしたいと思っている、人としての正しさの観点から考えることだと思います。
人は皆大なり小なり、自分が持つ力を発揮して貢献したいと感じているはずです。
ところが、様々な理由でそれが阻まれ、組織内に不協和が生じてしまうこともあります。
そういった環境を整備して、そこに働くメンバーのサポートを行い、成果を出し、最終的には社会に貢献できることです。
一緒にいたメンバーも深く納得したようです。
リーダーシップにおける“その人らしさ”を考えていた時、ふと神話の中の神々もまた“人間らしい”存在だったことを思い出しました。
日本書記や古事記に出てくる日本の神たちは実に個性的で、人間的です。
太陽の神であるアマテラスオオミカミは、弟スサノオノミコトの暴挙を受けて、洞窟にこもってしまい世界が真っ暗になってしまいます。
神がこのようなことを行い、世界の人を困らせているのですから、我々がイメージする絶対的な神とは違い、人間的です。
リーダーシップも日本の神々と同じなのだと言う結論に達しました。
誰かが作った理想のリーダーシップ像などわきに置いておいて、人間的な十人十色のリーダーシップで良いのです。
リーダーとは、完璧さよりも、誠実に向き合い続ける姿勢なのだと思います。
働く人が気持ちよく働き、組織をより意義深いものにしていくことさえできていれば、やり方は問われないのです。
そのように考えていくと、若いメンバーから見てリーダーが少し身近な存在になっていくのかもしれません。
リーダーは確かに世間で言われているような、厳しい面もあります。
しかし、本当はその厳しさを大きく上回る視点を高く持てるというメリットがあります。
今まで知ることのなかったものを知り、よりやりがいのある新しい仕事に挑戦できます。
1人でも多くの人にリーダーを目指してもらいたいと心から思います。