戸澤の週報
2025年05月24日
ある明治人の記録
先週はあるきっかけから、幕末の会津藩の藩士である柴五郎氏の残した「ある明治人の記録 中公新書」を読みました。
幼少期に戊辰戦争を経験しており、戦後賊軍として没落した会津藩士の家に生まれ非常に苦労します。
母親、姉・妹達は城に攻め込まれる前に自害してしまいます。
戦後は責任を取り父親も切腹するという現代では想像もつかない事態を経験します。
五郎は、新政府軍(薩摩、長州、土佐藩など)は、会津若松城(別名:鶴ヶ城)が攻め、敵襲を表す半鐘を山の上から聞いています。
敵砲弾により燃え盛る火を見て、母親たちがいる城に戻ることも叶わず、夜を超しました。
白虎隊で有名な戊辰戦争ですが、舞台裏では人の数だけのドラマがありました。
幕末の実際の様子が、実に生々しく息遣いを持って伝えてくれる価値の高い歴史的な書物だと思います。
その後五郎は、東京で苦学の生活を送り、陸軍学校へ入り、最後には陸軍中将(陸軍大将という記載のものもあり)まで上り詰めます。
会津藩出身でこの出世は当時非常に珍しかったようです。
詳しい内容は是非とも本書に当たって頂きたいのですが、特筆すべきはそのリアリティです。
様々な歴史が載っている本はそのほとんどが伝聞です。
史実をまとめたものであっても、誰かが編纂したものです。
歴史を直接経験している人の一次情報に敵うものはありません。
この本から学んだことは、
①同じ事実でも違った側面から見ると全く違うものに見えてくること。
②歴史が動く激動期とはどういうものか。
③ここまで苦しい人生があるのかということ。
同じ幕末における動向を、片方からの視点で見ていると、大切なことを見逃してしまうと感じました。
こちらは現在の社会においても全く同じで、物事には必ず2面性があり、その両方から見る癖が大切です。
五郎は明治維新を「無理」「摩擦」「未熟」「矛盾」と表現しています。
現代から見る視点と、当時の見え方は違うのでしょう。この辺りはもう少し掘り下げて勉強してみたいと思います。
多くの矛盾をはらんだ明治維新は、激動というものがどういうものなのかを教えてくれます。
令和の現在など、もしかしたら歴史における太平期とさえ言えるのかもしれませんね。
五郎の人生を追っていくと、かくも厳しい人生があるのかと思います。
五郎の人生を学んだことは、自分における心の中の一つの柱になりました。
この本は、柴五郎自身がまとめた内容を石光真人が編集することを許され、出版されました。
若干の文語体はありますが、新書で200ページ以下の薄くて読みやすい本です。
歴史的にも非常に価値がある内容だと思いますので、お勧め致します。